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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
奇なる風習
どのような"調査(調べごと)"でも、得意な視点に沿って「物語」をつくることが、とても大事です。
いまから100年ほど前、"白川村"が注目されるようになります。
当時"調査対象の中心"にあったのが、"大家族"制についてですが、世界遺産に登録された現在でも、視点を変え、さまざまな調査が行われています。
いまでは、白川村がある"場所の性格"や、仕事に伴う"事情"など、さまざまな理由により、"大人数での住まい方が必要だったんだろうなぁ。"と思うこともできるのですが。。
注目をされ始めた頃は、民俗学や社会学の視点から"奇なる風習"とされ、それがどれだけ"奇"であるかということに視点が集中していました。
この頃、白川村が紹介された"全国雑誌"があります。
この雑誌、"土木、工芸、器財、動物、植物"などを絵と文章、写真を使い、世の中に広く伝えようという趣旨でつくられていて全国の多様な地域の様子やイベントを取り上げていたそうです。
白川村が、紹介される際"特に強調"されていたのが、"人里離れた場所である"ということです。
このため、太古に"タイム・スリップ"しており、"昔の生活"をしている。などという紹介の仕方だったそうです。
ちょうど、明治から大正にかけての頃の話ですので、一般的には、高学歴化が進み、サラリーマンが増えはじめていたので、なおさら"対比する対象"を求めていたのかもしれません。
具体的には、
- 3500人ものひとが養蚕を生業としている
- まじめで滞納したことがない
- 物によっての買出し先の街のこと
など"日常全体"が紹介され、最後には、"大家族"を"系統図"付で完結させていました。
ただ、ここでの"奇"との紹介は、すべてが"悪意"を持ったものではなく、どちらかというと、江戸時代に"タイム・スリップ"したかのごとく読者向けに、ロマンチックな様子として扱われていたようです。
さて、江戸中期の1700年頃から造られている"合掌造り"。"大家族の生活"の説明として、"家屋は草葺にて3階または4階なり"などと、必ず一緒に登場することとなっていました。
このように最初は、"大家族 = 合掌造り"として語られてきたのですが、昭和に入ると、
- 「民俗学・社会学」 ⇒ "大家族"
- 「建築学」 ⇒ "合掌造りの建物"
というように、専門分野ごとに特化されていくこととなるのです。
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