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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

日本建築の起源

平成5年頃まで、文献や旅行ガイドブックでの"合掌造り"と"大家族"の関係は、"荻町合掌集落"と"遠山家"に代表されるように、"同格の扱い"でした。

むしろ、遠山家(大家族)"のみ"が白川郷の説明として紹介される場合すらありました。

しかし、当時"大家族"として、有名だった"遠山家"は、平成12年頃を境に、見学者の数も減少し始め観光資源としての位置付けに、陰りが見られるようになります。

多くの研究者を迎え入れ、"奇なるもの"から始まり、丁寧な調査に基づき徐々に修正される。。。

結果として、民族館としての道を歩むことになった遠山家は、報道と見学者に翻弄された白川村の象徴的な存在となったのでした。

一方、視点を建物のみに移してみると、そこにも様々な"見え方"があったようです。"合掌造り"調査の入口として"マタダテ(股建)"論争というものがあります。

"マタダテ(股建)小屋"とは、災害などで家を失った時に、復旧するまでの仮住まいとして建てられたもので、合掌造りの屋根部分のみが、直接地面に建っている小屋のコトを指します。

横から見ると、三角形が地面に置かれているような感じです。

この"マタダテ"が、"天地根元宮造り(てんちこんげんのみやづくり)"を起源にもつかという論争が起こります。

諸説ありますが、天地根元宮造とは、"神話"に基いて想定された、日本で最も原始的とされる建築様式のことです。

戦前の日本の建築史では、日本建築の起源とされており、その姿も地面に掘った方形の"竪穴"のうえに切妻屋根を伏せたように建てた小屋で、"マタダテ"によく似ています。

しかし、起源である証拠もなく、文献も江戸時代以前にさかのぼることができないなど、この説に反対する意見もかなりありました。

さらに、大正時代以後、関東地方を中心に"竪穴住居"の発掘が増加したにも関わらず、天地根元宮造を示すような証拠が見つからず、ますます疑いが深まっていくこととなったのです。

そのため、起源であることに"反対する建築史家"たちにより"円形"の古代住居の復元予想が示され始めます。

特に、昭和18年に発見された"登呂遺跡"は反対する建築史家たちの予想に従って復元され、それまでの、日本の古代住居の起源とされていた天地根元宮造りの"カタチ(三角形)"をくつがえすことつながっていくことになったのです。

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