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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

東洋一のロックフィルダム

東洋一のロックフィルダムとされる"御母衣ダム"。

当初の計画では、

  • 高さ120メートル
  • 総貯水容量約3億立方メートル

と、通常の重力式コンクリートダムとして計画されていました。

しかしその後、計画は大きな壁にぶつかります。

原因は、地質の脆弱さです。この一帯は、断層が多く、崩落の激しい地質で、1585年には、大地震により、ちょうどここにあった"帰雲城"が、がけ崩れで埋没し、城主一族が滅亡するという歴史もあったそうです。

発足したばかりの"関西電力"では、事業の"重要性"と"困難性"に、挟まれることになります。

そこで政府は、1952年に発足した"特殊法人電源開発"に、事業を移管させることとします。

これは、"電源開発促進法"に定められた「河川等に係る大規模又は、実施の困難な電源開発」に、この地が該当するためで、以後、関西電力が工事を"代行"する。といったカタチを取ることになります。

地質調査を行うと地質が、かなり良くないことが分かってきます。

調査地点を幾つか変更しても結果は同じで、重力式のコンクリートダムでは、事業費が高騰することが容易に予想できました。

そこで地質が脆弱でも、建設が可能な"ロックフィルダム"の検討が始まります。

当時、日本では、中小規模の"ロックフィルダム"施工例はあったのですが、高さが100メートルを超えるようなものは、前例がありませんでした。

また、この頃、朝鮮戦争に伴う特需景気で、(特需:米軍から戦争のために日本に発注された物資など)日本経済は、活性化に向かっていました。

このため、さらなる経済発展には、電力の供給が不可欠となっていたため事業主体である電源開発は、米国から"技師"や"専門家"を招いたり、国内の"各電力会社の土木専門家"に意見を求めたりします。

また、当然、民間の電力需要も上昇していましたが、空襲により"発電施設"が破壊されたため発電施設が不足し、慢性的な電力不足となっていました。

このような背景もあり、安定した電力供給は"日本経済の発展"と"治安維持"のために即座に解決しなければならず、1954年に御母衣ダム計画は、

日本初の大規模ロックフィルダム計画としてスタートしたのでした。

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