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必要の場をツクル設計事務所-長尾アトリエ の 長尾 です。

ブルーノ・タウト

いわゆる"空想のスケッチ集"である"アルプス建築"などの画集を発表し、ドイツ表現主義で活躍していたブルーノ・タウト。

余談ですが、画集に収められている"空想"もいまでは、実現可能なものが結構あると思います。。。

さて、戦後に渡ったソ連から帰国後、運悪くナチスに睨まれたため、亡命としてですが、憧れていた日本へたどり着きます。

当初は"京都"に滞在し、まもなく、"仙台"の産業に関わる研究所に着任します。

ちょうどこの頃。ドイツでの実績はありましたが、日本では、建築の仕事に恵まれず、自身でも"建築家の休日"と。。不満をもらしていたそうです。

その後、群馬県の実業家に招かれ、約2年間を高崎のお寺に滞在することになるのですが、このときに、群馬県の工業試験場に着任し家具、竹、和紙、漆器など日本の素材を生かしたプロダクトデザインに携わることになります。

例えば、高崎で細々とつくられていた"竹皮編み"などは、職人に対して、近代化していた、当時の日本に合う新しい"用途"の製品をつくるように、タウトがデザインなどを指導します。

このため今では、"西上州竹皮編み"の生みの親は、タウトということになっています。

これらを足掛かりに、工芸品の販売、ワークショップを行ったりと活動の幅を広げていき、建築関係の仕事に恵まれない一方で、

  • プロダクトデザイン
  • 建築理論を建設的に構築
  • 「日本美の再発見」などを執筆

といった活動を通し、日本の美を追求していきます。話がそれますが、元フェラーリデザイナーの奥山清行さん。

いまでは、電車、ティーポット、農業トラクター。。。など

畑の違うモノを多数デザインしていますが、本人の中ではつながっているのですね。。きっと。そして、日本で活躍していた"1936年"。

近代化を目指していた"トルコ"の芸術大学から声がかかり、教授としてイスタンブールに移住します。

この地で、日本で温めていた理論を実践していくことになるのですが、移住後たった2年の"1938年"。

長年患っていた気管支喘息のため亡くなります。。最後の仕事は、トルコ共和国初代大統領"ケマル・アタテュルク"の祭壇でした。


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