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必要の場をツクル設計事務所-長尾アトリエ の 長尾 です。

群と郷と村

今から約1200年前の奈良時代。

地方行政の単位として、"郡(ぐん)"の次を、"里(さと)"としていました。

里は、大体50戸(戸 = 家)で"ひとつ"です。715年に"里"を"郷(ごう)"と改め、郷が、地方行政の"最も小さい単位"として残ることになります。

その後、律令政治の"たるみ、ゆるみ"が、地方政治にも大きく影響し、年貢をきちんと納めることができるなどの"有力な郷"が、郡から離れ、実質"郡"と同じ役割を果たす"郷"が、登場することになります。

そのため、平安時代には"郷と郡"は、ほぼ同格となり、江戸時代頃までには、郷の次には、更に小さな単位である"村"が誕生することになります。

(群 = 郷)>(村)こんな感じ・・ですね。

このため、もともと行政上の管理のため、"郷"という名称がついていたのですが、それとは別に、一定のまとまりをもつ"数村"を合わせた単位も"郷"と呼ばれるようになったのです。その代表的な例が"白川郷"です。

よく、"白川郷"や"白川村"という言い回しを目にすることがあると思いますが、"白川郷 ≠ 白川村"ということなのですね。

白川郷は、もともと"荘川村"と"白川村"を合わせた大きな地域でした。

しかし、いまから10年前の合併によって荘川村は、高山市に編入されもともとの白川郷のまとまりは、崩壊することになります。

さらに、"23の集落"で成り立っていた白川村ですが、ダム建設や集落離村などで、現在は"14の集落"で構成されています。

さて、白川村についての文献は、明治中頃に雑誌に掲載されたものが、最初だと言われているそうです。この文献の冒頭で、

  • 細面で鼻筋が高く頭髪が薄い
  • 額が広くで骨格も太い

と…白川村のヒトの"顔"を2つに分類しているそうです。。。

おおざっぱ。。っと、思いたくなるのですが。。ちょうどこの頃、日本が"学問"という分野を確立させるために動き始めたところで、この内容が、"骨格の分類"によって"地域の特徴"をとらえようとする試みだったと推測できるそうです。

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