いつもありがとうございます。【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です

世界遺産登録後の課題

農業基盤から脱却した白川村。

平成に入った頃から"林道"ひとつとっても観光資源として大事に扱い、"観光立村"の勢いが、増していくことになります。

しかし、平成9年の"世界遺産登録"を境に、その様相に変化が見られるようになります。

それは"登録"によって、観光客が"予想以上に増加"し、特に、夏から秋にかけての"受け皿"が、追いつかず、中長期的な"課題"の解決官民での"全体的な取組み"などが、早急に求められることになったのでした。

つまり、村"内部"から生まれた"観光立村"の勢いを"外部"からの観光客の勢いが超えてしまった。ということです。

ちょうどこの頃は、保存対象を観光資源として、"活用"しながら"保存"ができるようにと認識に変化が見られた時期で、やはりまず、地域の"日常生活"ありきで"観光地"として努める。

と、"観光立村"の勢いがあった頃には、想像できなかった"課題"と向き合わなければならなくなったのです。

つまり、昭和40年代から50年代にかけ農業から"観光"へと方向転換を試み、実際に、観光地として"立った"世界遺産登録後、"日常""観光""保存"のバランスが崩れてしまった。ということです。

では、バランスを保つためには欠かせない、受け皿としての具体的な"観光目的"は、いつ頃ら一般的になったのでしょうか。

大正時代から2012年まで発行されていた"旅"という旅行雑誌がありす。

この、日本で最も古い歴史をもつ"旅行情報誌"で、最初に白川村が紹介されたのは大正15年で、その内容は"郷土芸能"だったそうです。

"飛騨"を扱った章の冒頭では、"白川わじま・こだいじん"と呼ばれる"芸能"が、紹介されていたようですが。。一体どのような"芸能"なのでしょうか?。。

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