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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
開発 対 保護
昭和25年に"文化財保護法"が誕生しました。
この法律は、文化財の"保存・活用"はもとより、ヒトの"文化的向上"も目的としています。文化財の対象は、例えば、
- 富岡製糸場と"絹産業遺産群"
- 石見銀山遺跡と"その文化的景観"
などのように、"単体の建造物"から"伝統的建造物群保存地区"など"環境"へと"保護の対象"を広げていくことになるのですが、多くの場合、そこには"民意"があるようです。
白川村の場合、昭和30年代に"民家研究の対象"が、"大家族"の調査対象としての"一部の地域"から"白川村全域"へと広がっていくのですが、これには、ダムの建設に伴う"合掌造りの建物の激減"への世論の反発。といった"民意"が背景にあります。
ちょうど戦後の復興時期で、全国に"開発"という"圧力"がかかり、ようやく、"調査方法"が確立しつつあった"民家"を早急に"文化財指定"する必要があったのです。
"開発"vs"保護"という構図がここで成立します。
このような出来事により、
- 人間にとって自然や歴史が、どのような意味を持つのか。
- 命や日常が、これからどのように関わりあうのか。
- 未来の文明は、どのようにあるのか。
といった根本的な課題に、向き合うこととなります。
白川村ではこの時期に、次々と庄川の下流からダムが建設され、"大家族制"で、注目されていた地域なども例外ではありませんでした。
また当時、"保護指定"された建物のなかに、現在、世界遺産登録されている"荻町の建物"が、含まれていなかったのですが、それは、早急な"指定"が必要だったため、社寺などと同じように"名品主義"としたからのようです。
つまり、ある"様式の代表"として指定するのではなく"他に同じモノが無い"珍しいモノを指定する。。。ということです。
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