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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

白川村のイメージ

終戦前の1945年頃までは、"大家族"と"合掌造り"の建物が"奇なるモノ"。として"白川村"は、メディア等で盛んに取り上げられていました。

ここには、都市化が進む街で"生活するヒトたち"による"未開の異国"を覗き見るような感覚が、あったようです。

このような感覚は、いまでもよく理解できます。ヒトは日常的に、"よく分からないモノ・知らないコト"には警戒し、"壁"を建てて、防護の準備を整えてから"様子をうかがう(覗き見る)"。。といった行動をとりがちです。

色々な"知られざる場所"への"興味"が、その後、白川村から日本。。日本から世界へと広がり。。グーグルアースにたどり着いたんですね。

。。きっと。

そして、この"奇なるモノ"という"イメージ"は、"大家族"制の消滅とともに、高度成長期に突入する"終戦"を境に、消えていくことになります。

終戦直後の新聞では、"崩れゆく白川村""揺らぐ家長の権威""大家族村に時代の息吹き"などといった"見出し"で紹介され始めます。

ここで思うのが、なぜ、このように、メディアでの扱い方が"変化"していったのか?です。

それは、終戦に伴う"新しい法律"の制定に深く関わっていたようです。

もともと、明治期から戦争までの民法には、"家制度(いえせいど)"というものがありました。

これは、日本の"家族制度"を規定する法律で、親族関係のあるヒトたちの中にある、いくつかの狭い範囲に"戸主(こしゅ)"を置き、その単位を"家族"として"一つの家"に属させ、戸主に家の"統率権限"を与える。。。といったものでした。

起源は江戸時代。武士階級の"家父長制"的な家族制度にあるようです。

この制度が、終戦を境に、新しい"日本国憲法"の制定に合わせて、"廃止"されることとなり、それまで"権力"を保っていた"大家族"の戸主も分家を認めなくてはならなくなります。

そして、財産分与についても、"戸主の独占"は許されない。。。と、メディアは、大家族"崩壊の様子"を伝えることになったのです。

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