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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
立場によって見え方は変わる
遠山家を訪れたことのあるヒトは、マルクスの"労働略奪説"に、反論した経済学者だけではありませんでした。
官僚をやめたあと、日本の"民俗学の先駆け"と称される岩手県遠野地方に伝わる"伝承"を記した「遠野物語」を執筆し、日本の民俗学の開拓者となった"柳田國男"も訪れていました。
いまから100年ほど前、遠山家を訪れた柳田は、そのときの様子を"木曾より五箇山へ"という文章に残しています。
そこでは、大家族制は"奇"などどして有名だが、必ずしも"奇"ではない。と、前記の経済学者とは真逆の感想を記しています。
さらに、江戸時代にタイムスリップしたかのごとく読者向けに、ロマンチックな様子として紹介していた雑誌に対し、極めて"クラシック"なり。と、現実的な表現もしていました。
経済学者と柳田國男は、10年以内の同じ頃に、同じ場所を訪れ同じ"遠山家"を見ているのに、"経済"と"民俗"という異なる"立場"によって目に映るものが真逆になるのですね。
その後しばらく"遠山家"は、大家族の"標本"のように扱われ、合掌造りの建物の中で、最も多くの文献で紹介されることとなったのです。
この影響で、見物客が次々に訪れることになり、絵葉書を販売するなどの一方で、増加し続けるヒトの数に耐え兼ね、観覧を固く断ることもありました。
その結果、一般の見学者たちは、昭和42年の"民族館"としてのオープン前には、絵葉書が売られている様子に、"驚きもし、嘆かわしくも思う"。などと。。
オープン後には、生活のない民家にはいっても、昔訪れたときにはあった人間の"ぬくもりを全く感じるコトができなかった"。などと。。
新聞、雑誌によって刷り込まれたイメージによって、勝手な感想を述べていました。
このような紆余曲折を経て、昭和46年に、国の"重要文化財"に指定されます。
しかし、平成12年頃を境に徐々に、見学者の数も減少し、世界遺産として"荻町"が注目される一方で、大家族の代名詞としての"遠山家"は、新聞、雑誌などでの扱われ方が、曖昧になっていくことになるのです。。。
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