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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
平家の落人伝説
今から800年ほど前の、平安時代末期。6年間にわたる大規模な内乱がありました。俗に言う"源平合戦"です。
平清盛ひきいる平氏政権を崩壊させ、源頼朝を中心とした関東政権、つまり"鎌倉幕府"が誕生することにつながる合戦のことです。
白川村は、明治中頃の雑誌での紹介を皮切りに、さまざまな媒体で取り扱われることとなり、それは、大正時代に入ってからもつづき、郷土誌などでも記事にされていました。内容としてはあいかわらず、"大家族"制を中心に、
- 人々の信仰があついこと。
- 人情があり、いたって穏やかである。
などと、その"人柄"にまでふれ、さらには、"集落ごと"に分類した"人柄"についてまでもが、記事にされ、
- 役場のある"鳩谷は上品"で"木谷は愚直"。
と、いまでは、色んなところで"炎上"しそうなことが紹介されていました。
なぜ、このような描写になったのか?それは、同じ日本なのに、"山奥の一風変わったところ"というイメージで、記事にしていたからのようです。
そんな感じだったので、白川村が"存在する根拠"として、陥落した平家の子孫という"平家の落人"伝説が、生まれることになるのです。"イメージ"と"事実"のどちらが先行しているのかは分かりませんが、
- しきたりが、極めて古典的で趣がある。
- 平家の旗を代々所蔵している家もある。
- 紋のついた着物で農作業している。
- 言葉違いが雅で丁寧。
- 所作がどことなくおっとりしている。
などと、"いかにも平家の子孫"といったような内容で、多方面で紹介されていくことになります。
結果的にはこの落人説。同じような所作、服装は、他の地域にもみられるとして、民俗学、社会学からやんわりと否定されています。
今と比べると、格段に"娯楽や情報"が少なかった当時、未開の異国をのぞき見るように、平家の子孫が、誰も知らない山奥で、晴れ着をきて農作業をしている。
という構図が、幻想的でシックリきていたんですね。多分。。。
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