いつもありがとうございます。【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

観光地と白川郷

白川郷はもともと、年間で4ヶ月以上も雪に閉ざされる豪雪地帯でした。

そのため"雪の時期"になると家屋を守るための"雪囲い"を済ませ、雪で"外の作業"ができなくなると、集落の人々が寄り集まり、囲炉裏を囲みながら、酒を飲み、語らい。。

三味線を弾き、唄い、踊る"民謡"が、何百年もの間、続いたそうです。

日本最古の歴史を持つ旅行情報誌"旅"では、最初に発行されてから間もない頃に長い歳月の間大切に育まれてきた"民謡"として、この、"わじま""こだいじん"が紹介され、今も保存会によって受け継がれているそうです。

ここでは、"旅"での掲載内容をたどって、白川郷に何を目的に訪れるのか?

つまり、村では"観光目的"をどのように"確立"していったのかを見ています。。

白川村のみを対象とした"最初の記事"は、昭和初期で、富山方面から白川に入った一行は、小白川と御母衣の高山家で一泊し、精一杯のもてなしをうけた。。などと記された、作家による"紀行文"でした。

少し時間が経って、昭和30年代に入ると、高山と荻町間に"濃飛バスの運行"が開始されたこと、"大家族"の"紹介"などが、掲載されてはいるものの、すべて、形式的なものでとどまり、"観光目的地"として取り上げたものはなく、その後しばらくは、やはり"紀行文"が、メインで掲載されていたようです。

"観光地"と"白川郷"が結びつき始めるのは、昭和40年代に入ってからで、"保護される観光資源"として、保存対象となった家が、移築・公開されること、観光資源保護財団で、景観を維持するための補助を行ってるとして、合掌づくりの"保存"のことが紹介されてからです。


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