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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

見られる場所から見る場所に変化した荻町城跡

ウェブ検索でも多数ヒットする、現在"世界遺産の白川郷"として最も目にする"写真"は、"城山"からの眺めです。

本の表紙やパンフレットで使われるのは、"必ず"荻町のその景色です。

"城山"は、荻町集落の北に位置する標高550mの山で、山道を登って、細い通路を抜けると、パッと目の前に"荻町の全景"が開けるため、季節ごとに、とても"印象的な場面"としての役割を担っています。

しかし、実はここからの風景は、昭和40年代から広まったもので、それまでは、この景色を眺めることができる"荻町城跡"は、"見られる場所"だったのです。

その後、奇妙な反転が起こり"見る場所"となったのです。

ここは、名前の通り"荻町城"があった場所で、敵からの侵入を防ぐための、土塁(土を盛ったもの)や堀のカタチから1500年代半ばの"室町時代"に造られたと言われています。

戦前の"白川村の紹介"は、もちろん"合掌造り"などではなく、この"城跡の由来"が大半をしめていて、その内容の大半は、関係する人物などの"歴史的な説明"でした。

戦後になって"ようやく"、「眼下に荻町、鳩ヶ谷のすばらしい情景を見下ろし….。」と城跡からの眺めの説明がされ始めます。

おもしろいのは、展望台がある"荻町城跡"を中心に北側に"鳩ヶ谷"。南側に"荻町"が位置するのですが、現在では、展望台から"鳩ヶ谷"を眺めることが出来ないということです。

戦後間もない頃は、"薪炭材"の利用や"建築材料"の採取など、山の利用が盛んで、樹木が現在ほどなかったためのようです。

その後しばらくすると、荻町の俯瞰写真が、本やパンフレットに登場し始めます。

しかし、「城跡の山に登ると….一望に見渡せます。」という説明とともに掲載されている写真は、現在の有名な写真より"低い位置"からの俯瞰で、少し違ったものでした。

また、合掌造りの建物群を横から撮影した写真などもあり、1960年代まで、"俯瞰景の場所"が定まっていなかったようなのです。。

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