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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
開発と保護の象徴
戦後、発電のための相次ぐ"ダム建設"にともない、白川村の一部は、水没を余儀なくされることになります。
ダムの中には、東洋一の"ロックフィルダム"として知られる"御母衣(みぼろ)ダム"があります。
ちなみに、ロックフィルダムとは、コンクリートの質量を利用し、ダムの自重で水圧に耐える、通常のコンクリートでつくる重力式ダムとは違って、岩石や土を積み上げてつくるもので、比較的地盤が"軟弱"な場合に、採用されることが多いです。
工事の際、水没する(証蓮)寺の"荘川桜"が、移植されたときの苦闘は、「NHKプロジェクトX」でも放映されたようです。
このため、昭和20年代には300棟近くあった合掌造りの建物のうち、100棟近くが、様々な理由により消失することになります。
さらに、御母衣ダムよりも奥の地域は、ロックフィルダムの建設により、すべてが犠牲となってしまいます。
大型のダンプカーが並んだ真ん中で、ぽっつりと"合掌造りの屋根"が、残っている様子は、急激な"近代化"とそれに対する"危機感"の象徴として、格好の"対象"にされました。
そして必然的に、内部からは"反対運動"が起こることになります。
特に、当時盛んだった"林業"では、採した木材は"庄川"を使って流送していました。
しかし"ダム"ができれば、川流しを続けるコトができなくなるため林業関係者が、電力会社に対し訴訟を起こすことになります。
この出来事は"庄川問題"として、大きく取り上げられた事件だったのですが、それでも、住民や自治体を含め、補償問題などが複雑に絡み合う中で、建設が、"じわりじわり"と進行していったのでした。
御母衣ダムは、昭和2年から計画が始まっていたとされ、昭和32年に着工ですので、30年近くにもにわたり"激烈な争い"あったことがうかがえます。
この反対運動の厳しさの理由を電源開発側は、"大家族"を背景にもつ生活基盤が、保守的な家長の意見を中心として、"連帯感"を強めたことによる。としています。。
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