あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾
戦前と前後
ガイドブックなどでの白川村の紹介は、戦前と戦後で、大きな違いがみられます。
これは、旅先で求められる"見る風景"に、変化が起こった。。。ということです。戦前には、
- 120年間も栄え、巨大地震により幕を閉じた"帰雲城"
- 親鸞の直弟子として、浄土真宗を広めた僧侶"嘉念坊"
- 日本三大名瀑(滝)と呼ばれていた"白水の瀧"
などが、紹介を取り扱う文献の"半分以上"に掲載されていました。さらに、
- 川を挟んだ東側にある五箇山(流刑地)に渡るための"籠の渡し"
- 荻街を一望できる"荻町城跡(いまは展望台)"
などが、"3割ほど"となっていました。
しかし、戦後になると"すべて"が逆転し、荻町を中心とした"合掌造りの建物"が、戦前の"約3割"から"約7割"に大きく増加。
さらに、高さ130mと日本屈指の規模の発電専用(水力発電所)ダムである"御母衣ダム"も"約6割"と、突然現れることとなります。
一方で、戦前"半分"を超えていた、"帰雲城""嘉念坊""白水の瀧"などは、"2割"前後とその割合は"激減"しました。
白川村に限らず一般的に、旅先で"見る"の対象となる"風景"には、これまでに、大きな変化が二回あったとされています。
その二度目には、対象が"自然風景"から"街並み""農村"などの"生活風景"へと大きく変化したと言われており、白川村も例外ではなく、
- 帰雲城などの"名所旧蹟"
- 白水の瀧などの"自然資源"
から"生活風景"としての"合掌造りの建物"へと、世の中の流れとともに、見る対象が移行したのでした。
でも何故?戦前と戦後で対象に変化が起こったのでしょうか?。。。。つづく。
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