既にある~これから必要なコミュニティ。
こんにちは。
長尾アトリエ の 長尾 です。
今でも、
都心のマンションでは"隣に誰が住んでいるのか知らない"コトも
珍しくないと言われます。
同様の理由で
高度成長期に"ベットタウン化した街"は
"自律した街"に比べ
地域コミュニティが、形成しづらくなっています。
"ベットタウン化した街"に対し、
一般的に"自律した街"とは、
『第一次産業』や 食品加工する『製造業』など
その場所にしかない"自然環境のチカラ"を骨格に、
富を得られる"街"などをさしますが、
昨今、その解釈は、当時とは、少し違ってきているようです。。
例えば、
『つくば研究学園都市』のように、
国家プロジェクトとして日本中の"研究所"が集まっているような街。
『シリコンバレー』のように、
IT企業の"生産基地"のような街。
などは、
骨格になっているモノは様々ですが、
それに似たような"街"と言い換えることができるのかもしれません。
そして、ごくごく近年ですと、
ITを駆使たコンサルタント業を営み、日本あるいは海外に"点在"し、
"個人"で年間、数億単位で売り上げるヒトたちなどは、
街の"見え方、捉え方"が、従来とは少し"異なり"
あらたな"コミュニティ"を形成しつつあります。。
戦後70年。変わる住まい。。『羨望の団地』から『進む高齢化』
60年代から70年代にかけ賑わいを魅せた「団地」ですが、
前回少しふれました『赤羽団地(62年)』などは、
入居希望者の倍率が100倍を超える部屋もあったそうです。
抽選に当選し、
"最新設備"に囲まれた生活を送るコトは、当時の"憧れ"でした。
しかし、
『住宅すごろく』なる"神話"が存在した当時、
入居から10年ほどで
"マンション"や"戸建"に移るヒトが多く
徐々に"空き室"が増えていきました。
今、八王子市のある団地では、
"70代~80代の新規入居者"が増加しているそうです。
このため"自治会"が、
起伏の激しい団地内の"足"の確保のため、
補助金で製作した"自転車タクシー"などを無料で運行したり、
敷地内の"空き店舗"に"コミュニティ広場"を設け、
いつも"弁当"を持ち寄って食べているヒトたちの中に、
しばらく来ないヒトがいると、電話で様子を尋ねたりするそうです。
昔、大阪市長の橋下徹氏が、
『住宅の1階部分は、カーテンつけるの禁止!』と言っていましたが、
公の場での『コミュニティ空間』。
IT空間での『コミュニティ』。
などに対し、
これからは、場合により、
住宅などの"プライベート領域"の一部を"公のコミュニティ空間"と
して開放するコトで、
『生活が楽になったり、不安が軽減する。』
手助けになるのかもしれません。
終戦直後、
"復員"と"引き揚げ"が重なり、深刻な"住宅不足"のとき、
当時の大蔵大臣が、
10年で"住宅不足"を解決をするコトを宣言し、
『公団』がその役割を担うコトとなりました。
そして、
"合理的"に早く大量の住宅を供給するタメに取った"手法"は、
"間取りを規格化"するというコトでした。
画期的だったLDK。
1958年発行の週刊誌では、
『鉄筋コンクリート造の団地=モダンな暮らし』として紹介され
この頃、
『団地族』という造語が生まれたようです。
規格化され大量生産されていたLDKは、
それまでの日本の文化にはなかった、
"男性が台所に立ち料理をする。。"
"子供に個室。。"と
『男女平等、個の尊重』など
戦後の民主主義を大きく"象徴"していました。
そして、
時代は変わり、成熟した今の日本の『団地』は、
設備の老朽化
に加え、
65歳以上の高齢者がいる世帯の割合は、
85年で8.6%だったのが、2010年では38.9%と約4割近くになり、
民間の分譲マンションにいたっては、
60歳以上の居住者が、
2008年39.4%だったのが、2013年で50%になっています。
手元にデータはないですが、2015年現在では、
これ以上の割合になっているコトが"容易に"想像できます。。。
今後ともよろしくお願いいたします。
≪ 長尾アトリエ ≫ 長尾景司 ≪
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