いつもありがとうございます。【必然の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
1929年前後のパリの日本人
19世紀後半から、1914年の第一次世界対戦が勃発するまでの25年間。
いわゆる、アールヌーボー、印象派、エコールドパリ、キュビズム、ノスタルジア…などに象徴される"ベル・エボック=良き時代"。
これに対し、パリがもっとも活気づいていた1920年代は、"レ・ザネ・フォル=狂乱の時代"と呼ばれます。
馴染みの薄い呼称ですが、その絶頂期は1926-29年と言われているのですが、ちょうどこの時期に、多くの日本人がパリに渡っています。
その内のひとりが、当時のパリで、日本人として名を轟かせていた薩摩治郎八(さつまじろはち)。
近江で木綿問屋を営む豪商の三代目で、パリを拠点として活躍していた画家の藤田嗣治や岡鹿之助など多くのアーティストを含め、美術、音楽、演劇などの文化活動支援に惜しみなく私財を投じていました。
ジャポニスム
また、1800年台後半の第3回パリ万博で"ジャポニスム"の旋風が巻き起こります。
この影響もあり、漆芸の技をパリの工房に伝える人材として、日本でもあまり知られていない菅原精造という人物が、1905年にパリに招かれています。
菅原は5年間、工房で指導にあたりその後、パリに残り女流建築家アイリーン・グレイに、漆工を指南することになります。
このためグレイに"漆"の技術を教えた人物として歴史に名を刻まれているのです。
グレイはこの漆工技術を活かした家具やインテリアにより初期の名声を獲得しています。
難民問題
イーロン・マスクによりツイートされた、日本消滅。
移民や難民は世界での重い課題ですが、日本では今後深刻化する"人口減少・労働者不足"もあり、避けて通ることはできなません。
転勤や失業なども含めて考えれば、日本人も難民予備軍で、近未来の日本社会が抱える難問なのです。
アジール・フロッタン物語の意味は、当時ほとんど手を差し伸べることのなかった難民に、安心できる居場所と食事を提供することができた事実にあるのです。
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