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岡本太郎の渡仏

1928年、コルビジェに学ぶため前川國男は、親類の伯父が国際連盟の事務局長としてパリにいることを手立てに渡仏します。

ちょうど同じ頃、1930年のロンドン海軍軍縮会議の取材のため朝日新聞の連載で人気を博していた岡本一平とその息子"岡本太郎"がパリに来ていました。

太郎はその後の10年をパリで過ごします。

困難からの復活

1929年末に、リノベーションの竣工を迎えたアジール・フロッタンは、その後60年間、戦争や経済の変動により生み出された"難民たち"に一夜の心休まる場所と食事を提供してきました。

しかし、1990年頃には最後の居住者もいなくなり、放置された状態に近くなります。

そこから10年後、製造からは70年が経過し、老朽化も激しく維持が困難になっていました。

そこでパリ在住の有志5人が、コルビュジェ作品を後世に残すべく、救世軍から買い取り修復活動を始めたのです。

そして2006年、主要な出資者フランシス氏から"修復工事中に船を覆うシェルター"のデザイン依頼を受けたのが、日本人建築家の遠藤秀平です。

セーヌ川を管理する河川局からシェルター設置許可を受け、工事着工となり、2008年にパリ秋の芸術祭フェスティバルでプロジェクトが発表されます。

ところが、リーマン・プラザーズショックにより修復プロジェクトが、ストップしてしまいます。

その後、少しづつ地道な修復を行い、2017年には内部も整理され使える状況に近づきます。

この時期に船の内部で日本人建築家展の開催企画が発案されたり、並行して、日本でアジール・フロッタンを紹介する再生展を行ったりしていました。

この展覧会には、ル・コルビュジェ財団の特別協力もあり、当時の図面や写真など貴重な資料など多くの提供を受け、中国の4都市などでも巡回開催しています。

困難の再来

そんな中、パリ現地2018年2月、セーヌ川の年末からの増水によるアクシデントにより船内に水が進入、アジール・フロッタンが水面下に見えなくなってしまったのです。

その後、船を浮上し復活させる試みを行いましたがうまくいかず、1年以上が経過し関係者間で諦めムードが漂い始めていました。

しかし、公益財団法人からの"助成事業"が決まり、この資金により、2020年10月にようやく浮上させることができたのです。

これまで奇蹟的に100年もの間セーヌ川に浮かんできたコンクリート造のアジール・フロッタン。

日本との不思議な縁により再び浮き上がり、今後はコンクリートの補修後、コルビジェによるオリジナルデザインに復元する予定です。

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