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【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾です 。
生糸について
2014年6月。富岡製糸場と絹産業遺産群が、"世界遺産"一覧表に記載されました。
その価値とは、
- 生糸の大量生産を実現した"技術革新"
- 世界と日本の"技術交流"
にあります。
日本が開発した、絹の"量産技術"は、かつて、一部の特権階級"のみ"のものだった絹を世界中のヒトたちに広め、その生活や文化をさらに"豊かなもの"に変えました。
この絹とは、蚕(かいこ)の 繭(まゆ)からとった繊維のことです。
独特の光沢で、太古から珍重されてきました。綿糸のような、短いわた状の繊維をあわせた"スパン糸"に対し、1個の繭から、約"800~1200m"もの長い繊維がとれるそうで天然の中では、唯一の"フィラメント糸(長繊維)"です。
そして、蚕(かいこ)の繭(まゆ)を"製糸"し、引き出した極めて細い"繭糸"を、数本揃えて"繰糸"の状態にした"絹糸"のことを生糸(きいと)といいます。
富岡製糸場では、この"生糸 の 大量生産"を実現したのです。
また起源について諸説ありますが、"絹"の生産は、紀元前3千~6千年頃の中国で始まったと言われています。明らかなのは、漢(紀元前200年頃)の時代には、
- 蚕室での温育法
- 蚕卵の保管方法
は、確立していて、現在の"養蚕原理"が、ほぼ、出来ていたのだそうです。
また、1000年頃の宋時代には、需要が高まり、夏と冬の二回徴税される"両税法"の、徴税方法が実質"銭納"から"絹納"となり、農村部などでも"生産"が盛んになったそうです。
一方、他の国々では"絹の製法"が分からず、とても古い時代から絹は、中国から"陸路・海路"両方でペルシア、インド方面に輸出されていました。
世界遺産に(一部)登録されているシルクロード(絹の道)の起源ですね。
さて日本には、弥生時代(紀元前300~1000年頃)に、絹の製法は伝わっており、納税のための"絹織物"の生産は、盛んだったのでした。
しかし品質は、中国絹にまったく及ばず、さらに、戦乱により 産業は衰退し。。たはずなのですが、これがもとで、日本の上流階級は、常に"中国絹"を好むようになり、やがて、"日中貿易"の起動力につながっていくことになったのです。
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