ドイツ小都市での課題

いつもありがとうございます。

【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

1960年代のドイツ。

環境悪化していた旧市街地を"再生"する際、

政府は最初、

地域住民を"排除"することから始めようとしていました。

しかし徐々に、

民主主義運動が活発になり、

60年代後半には、

生活環境の"改善"が主の課題であると。。

再生の"切り口"に変化がみられるようになります。

そんな激動の中、

1975年に"文化財保全保護法"が確立します。

ちなみにドイツの場合、

文化財"保護の権限"は"各州"にあり、

1958年-1982年の四半世紀で、

旧西ドイツ地域の"すべての州"で、

"保護法"が制定されます。

そして、

各州での制定が進む1975年に、

連邦と州との連絡、調整の役割を担う委員会が設立され、

総合的な法律として確立することとなるのです。

1949年の"法隆寺の火災"をきっかけに、

総合的な文化財保護法が施行された日本に対し、

ドイツでは、

生活環境の悪化という"社会問題からの脱却"を目指しての

実践だったのですね。

さて現在、

ドイツ各州の小都市には、

州内でほぼ同じ時代に建設された、

"ハーフティンバー様式"の建築物が残る

歴史地区があり、

目下、保存修繕が課題となっています。

"ハーフティンバー様式"とは。

柱や梁、斜材などの

軸組(構造)を隠されず"装飾材"として扱い、

その軸組の間を

漆喰や煉瓦、石などで仕上げる様式のことで。。

アルプス近郊に見られる

"あの!"木造真壁様式のことです。。。

これら歴史地区の建築物の修復目的のひとつに、

時間とともに"漆喰で覆われてしまった外観"を

"ハーフティンバー様式"の外観に修復することが、

あげられます。

以前扱ったことのある、

富岡市のバッファーゾーン(緩衝地帯)にも見られた、

瓦屋根がトタンになっていたり、

切妻屋根が、

看板用のパラペットになっていたりする様子を

"おもてなし"のために改修しよう。。

という試みに近そうですね。

そして、

ほとんどの場合、このような修復には、

文化財専門の"建築家"が関わるのですが

一方で、 

文化財として"未指定"の建造物に対しては、

デザインコントロールが、

"行われていない"小都市(アルスフェルド)なども

あるようです。。。つづく。