ドイツヘッセン州でのまちづくり

いつもありがとうございます。

【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

記念建造物及び遺跡の保全と修復を行う際、

ベニス憲章(ユネスコ憲章)では、

欠損部分の補修は、

・ 全体と調和して"一体"となるように行うこと。

と同時に、

・ オリジナルの部分と"区別"できるようにすること。

と、

まるで"大喜利の無理問答"のような宣言となっています。

これは"修復"によって、

"芸術的側面"や"歴史的証跡"が、

誤り伝わることが無いようにという"配慮"のためです。

なので多分、

・ 見た目は違和感無く"一体感"がある。

改修手順の"記録"を見ると

・ 改修部分の"区別"ができる。

という感じなのだと思います。

また、

この"部分と全体"については、

"単体の建造物"に限ったことではなく、

"歴史地区全体"も保護の対象としていて、

"歴史的環境全体"を保全するための

"デザインコントロール"が必要になってきます。

(参考:そもそもデザインって何?ステップ1公開中)↓

http://nagao-atelier.com/free-web-lecture/

例えば、

文化保護が先進的に行われてきた、

ドイツの"小規模な街"におけるデザインコントロール。

現在ドイツには、

約800件の"保存対象"となる地域があります。

中でも、

対象となる"小規模な都市"が点在する"ヘッセン州"は、

特に、

積極的に"先進的な取り組み"をしたと

専門家たちが認識しています。

州における"デザインコントロール"の具体的な内容は、

"土地、建物の社会的責務"にとどまらず、

それに伴う、

"税金の減免措置"などまでも含まれます。

そもそも、

ドイツでの"デザインコントロール"の歴史は、

戦後、

西ドイツの都市計画の一環として、

老朽化した"市街地中心部"の"生活環境の改善"を目指す、

地区の"再生事業"にさかのぼります。

当時、

古くなった"市街地中心部"の"人口密度"は高くなっていて、

財力があるヒトたちは、

低密度な"都市の郊外地"に移り住んでいました。

そのため"市街地中心部"には、

所得水準の低い人々が留まり続けるしかなかったのです。

60年代に入り政府は"再開発事業"を始め、

旧市街地の住民を"排除"しようとします。

しかし、

60年代後半に"民主主義"勢力が、

政治的に勢力をもち始めると、

"排除"ではなく、

旧市街地の"生活環境の整備"が、

社会的な課題として取り扱われるようになったのです。

。。つづく。