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アジール・フロッタンをめぐる支援

船のリノベーションには多くの資金が必要でしたが、これには当時パリで活躍した女性たちが多く関わっていました。

まず最初に登場するのは、"マドレーヌ・ジルハルト"。

彼女は、同じく画家でパートナーの"カトリーヌ"と共同生活をしていましたが、"カトリーヌ"が亡くなったため船の名前を"カトリーヌ号"とすることを条件として、遺産を救世軍に寄付し"船の購入を提案"します。

次に、当時のセーヌ川"右岸"でサロンを主宰し音楽家や画家たちのパトロンとなっていた、"ウインナレッタ・シンガー"。

現在はアメリカのテネシー州に本拠地をおく、創業170年のシンガーミシン社。

彼女は、この創業者"アイザック・シンガー"の娘です。

アイザック・シンガーは、1855年のパリ万博に自社のミシンを出品し金賞を獲得し、その後ミシンの性能が評価され、アッという間に世界的な企業に成長します。

娘の"ウインナレッタ"は、1875年に父親の"アイザック"が亡くなったことから遺産を相続し1878年にパリに移り住みます。

その頃から、莫大な遺産を背景に多くの音楽家への支援を行います。

この"ウインナレッタ"が、船の改修費用として、救世軍に多額の寄付を行い、その設計者としてコルビュジェを指名したのでした。

この前後コルビュジェは、救世軍関係の建築を複数設計しているのですが、それらの資金も"ウインナレッタ"が出資していました。

そのほかの背景

"ウインナレッタ"が再婚した相手は、30歳年上の"エドモン・ド・ポリニャック"公爵。

公爵の支援も受け、1894年にスコラ・カントルム音楽学院が設立され、縁もありコルビュジェの兄は、この音楽学院で働いていました。

また、女流建築家"アイリーン・グレイ"。

彼女の住いとアトリエは、当時のコルビュジェのアトリエとも徒歩圏内と近く、2017年に日本でも公開された映画"ル・コルビュジェとアイリーン・グレイ追憶のヴィラ"の主な舞台ともなっていました。

そして、アイリーン設計のモダニズム形式の別荘"E. 1027"の竣工もアジール・フロッタンやサヴォア邸の完成と同時期の1929年です。

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