マジョリティとマイノリティ
いつもありがとうございます。
【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
高度成長期が終了しつつあった70年代、
ひどい"差別"が、頻繁に新聞記事になっていたそうです。
おととし、
全ての障害者の"尊厳"と"権利"を保障するための条約として、
日本は、
障害者権利条約 を 批准 し、国際連合で承認されました。
一見、
差別是正に 向かっているように見えるのですが、
ヒトの"潜在意識"を"可視化する実験"によると、
差別が"無なくなった"のではなく、
表には見せない"潜在型"に変化した だけのようです。
このような背景のもと、
実社会には"2つの方向性"があります。
ひとつ目が、
"障害者から社会的、経済的、法的な圧力という壁を取り払う"方法。
つまり、
"できない状態"を社会がつくらないというコトです。
ふたつ目が、
"健常"を 絶対的なあり方とする方法。
つまり、
"できない=価値がない"というコトです。
これらは、
"無能力という状態"は、本人の問題なのではなく、
社会(ヒト)の"価値"基準
が、つくり出しているコトを示しています。
同じコトが、
いまの"合理化された社会全体"にも見られます。
先日、
居住者7割の賛成で、組合により全棟建てかえの方針が決まった
"傾いた"分譲マンションにおいて、
居住者が不在の販売前は、
ディベロッパーを筆頭に、
施工不良でも、予算以内で収めるコトに"価値"があり、
それが、"正しい方"でした。
一方、居住者が存在する販売後、
居住者の生活に支障をきたしているコトが、分かると
それは、"正しくない方"に移動しました。
新たな価値基準が生まれるたび、"正しい方"は移動します。
しかし、今回の場合は、
建築物本来の命題 = 安心で安全な場所の確保
を踏まえるべきと考えています。
21世紀に入り、
不特定多数の顧客をターゲットとした、マスマーケットが、
停滞し始め、
価格競争だけでは成立しない社会になりつつあることから、
社会の"安定性"が疑われるようになりました。
そして、
多くのヒトは、自分が"正しくない方"なってしまわないかと
不安に感じています。
社会は、
"マジョリティ(多数)"に有利な状態が維持されやすいです。
しかし、多様化するいま、
"多く"の"マイノリティ(少数)"の価値が、
"マジョリティ(多数)"に対峙するコトで
"正しい方"を考える時間をもたらしてくれます。