歴史的痕跡の保存

いつもありがとうございます。

【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

失敗に学んでやり直すことは、大事なことのはずなのですが、

建造物の修復・再生などの場合、

通気性のない"塗料"を塗ることで

木部が腐り"負の遺産"となってしまい、

再び"デザインコントロール"を

行うことができなくなってしまうコトがあります。

例えば、

ドイツ"アルスフェルド市"の"歴史地区の再生事業"のように

自治体が主導での失敗は、

再度、

最良の改修計画を提示したところで、

地域には、

なかなか受け入れてもらえません。

このためこの場所では、

再生・修復方法を模索しながら

行われるようになります。

例えば、

"都市壁"の"再生事業"。

これは、

過去に実際に存在した"都市壁"を

今ではすっかり土地の利用方法が異なった場所に

再び造る、

あるいは移動するといった事業です。

ちなみに"都市壁"とは。。

城郭都市を構成するために、

街を囲っている"壁"のことです。

その起源は、

集落を"堀"で囲った"環濠集落"にあり、

農耕が発達した"新石器時代"に

世界各地で見られたそうです。

なぜ、世界各地なのか?

それは、

農耕技術の発達は、

狩りとは違い、

一つの場所で"富"が蓄積できるようになり、

これを"奪おうとする敵"から守るため、

集落の周りに"お堀"を掘り、

残土で、

その内側に土を盛り上げた"土塁(壁)"を

つくっていたからなのです。

その後、

防御力を高めるため"堀"を深くし、

水を溜め、

土塁の役割を版築、煉瓦や石を積んだ壁が、

担うことになるのですが、

その壁は、

より高く、堅く、巨大となり、

集落が"都市"となっていきます。

欧州では、

ローマの伝統に従い、

中世の"都市壁"を

"壁・塔・門"の3つの要素で構成していました。

日本のお城は、

この"壁と塔"を一緒にした感じがしますね。。

さて歴史上、

とても大事な役割をになってきた"都市壁"ですが、

ドイツ"アルスフェルド市"の裁判所増築事業では、

この"都市壁"を"移動"する。。

という事業が行われました。

もともとの"都市壁"の位置では、

増築部分を街路から隠してしまうため

最初の位置から、

2m程度離れた場所に"移動"するというものなのですが、

事業内容の中に

かつて"都市壁"が、

この場所に"存在した"ことを示す"痕跡"を

"路面に表現"するという手順があります。

2mの移動はさておき、

この手順は、

歴史的痕跡を"記録した"と言えそうです。

。。つづく。