17世紀地区(運河地区)

いつもありがとうございます。

【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。

アムステルダムが、

世界商業・金融の中心地となるきっかけが、

八十年戦争(オランダ独立戦争:1568年-1648年)にあります。

1600年頃までには、

オランダを含めた"北部7州"は、

"ネーデルラント共和国"として、

スペインから"実質的な独立"を果たしていました。

その中でも"オランダ(共和国)"は、

宗教的に"寛容"で知られていて、

● スペインから"ユダヤ人"

● ベルギーから"豪商(大富豪)"

● フランスから"ユグノー(新たな宗教思想者)"

などを受け入れていました。

前回疑問に感じた

"世界遺産"と"寛容さ"の関係が、

少し見え始めています。。

戦争自体は、

共和国が成立しても"続いていた"のですが、

1595年。

アムステルダムの商人が船団を"アジア"へと派遣し、

船団はジャワ島(インドネシア)から

"東方(アジア)の物産"を積んで帰国しました。

この出来事によって"東方貿易"に注目が集まり、

独立後の共和国は、1602年。

東方貿易を独占する

"連合東インド会社(オランダ東インド会社)"

を設立して、

アジアに進出することとなったのです。

同時期に、

ポルトガル(スペイン軍)との戦争での勝利により、

"香辛料貿易"の権利を手に入れ、

さらに、

大陸からインドネシア・ブラジルまで含めた

広大な"貿易ネットワーク"を築き、

共和国内でも、

アムステルダムの貿易商は、

主要な地位を占めるコトとなりました。

このような一連の出来事によって、

"富"が、

アムステルダム(共和国)に流入し、

17世紀の"黄金時代"を迎えるコトとなったのです。

そして、

この"黄金期"に造られた

"17世紀地区(運河地区)"が、

2010年。

世界遺産に登録されたのです。

当時の17世紀地区は、

商業(貿易)に"最も適する"ように

東京駅のモデルとされる"中央駅"を中心に、

"各運河"が"同心円状"に整えられ、

世界一の"水運都市"に成長していくコトになります。

。。つづく。