いつもありがとうございます。【必然の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
2人の建築家
ル・コルビュジェがリノベーションを行い、前川國男が従事していた、アジール・フロッタン。
日本にも縁のあるコンクリート製の難民避難船です。
余談ですが、前川國男設計の"東京文化会館"、ル・コルビュジェ設計の"西洋美術館"と、二人の建築家が設計した建物が上野公園で体験できます。
石炭船リエージュ号
アジール・フロッタンとは、1900年初頭につくられた石炭を運ぶためのコンクリート製平底船の通称です。
第一次世界大戦中、フランスではドイツ軍との戦争下にあり石炭が不足していました。
主力燃料だった石炭をパリへ補給するには、"ロンドンからの海路"と"セーヌ川をさかのぼる輸送"しかありませんでした。
そこで、この石炭補給と連合国軍からの物資輸送を行うため250隻ほどのコンクリート船の製造が計画されます。
構造は、1855年のパリ万国博覧会で展示された"金網入りのモルタル"船の技術が認められたことから、1900年台に入り建材として認知された"鉄筋コンクリート構造"を船の構造として採用したのです。
船の製造とその後
船製造のための"ドック"は、イギリス海峡に近いセーヌ川沿いにつくり、ここから送り出されます。
これらの船には、戦争の被害を受けたヨーロッパ諸都市の名前がつけられ、後のアジール・フロッタンとなる"リエージュ号"もその中の一隻として、1900年初頭に造られました。
第一次世界大戦が終わると、このコンクリート船団のほとんどは整理されたのですが、一部が残され、リエージュ号はフランス北部の街に放置されていました。
それをプロテスタント教団である"パリの救世軍"が発見し、第一次世界大戦の影響でパリ市内に多くいた"戦争難民"を収容する目的で1929年にリノベーションを行ったのでした。
この工事の資金は、当時パリで活躍していた女流画家とシンガーミシン社関係者の寄付が元になっています。
そして、建築家ル・コルビュジェをそのリノベーションの設計者に指名し、救世軍の他の建築にも多くの資金を提供したのが、このミシンメーカー創業者ウインナレッタ・シンガー・ポリニャック公爵でした。
船のリノベーションは、ル・コルビュジェの代表作の"サヴォア邸(1931年)"に先立ち1929 年に完成。
この年は、世界恐慌の年で、MoMA (ニューヨーク近代美術館)が設立され、同時代の巨匠"ミース・ファン・デル・ローエ"のバルセロナバビリオンができた年でもあります。
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