高度成長期における分譲マンションの位置づけ。
こんにちは。
長尾アトリエ の 長尾 です。
約30年前"チェルノブイリ原発事故"が起きました。
ロシアでの出来事なのですが、
風向きなどの影響なのか、今でも
原発から"300km以上"も離れた複数の場所で
"高濃度に汚染さている地域"があるそうです。
コノ出来事は、
東北大震災に伴う"原発事故"とあわせて報道されるコトがあり、
日本でも、似たような現象が起こっています。
福島での事故から"5年"になる来年、
いよいよ、
"風力・火力・水力・地熱"など、原発"以外"の方法で
発電する電力会社を選べるようになります。
各社"発電方法"はもとより、
7兆円を超す"巨大な市場"とのコトで、
多種多様な企業が、参入がするようですが、
背景にある"脱原発"がどこまで具現化できるのか、
気になるところです。
一方、
今までは、一棟一契約が原則だった分譲マンションの
"各住戸"
でも、電力会社を選択できるようになります。
今回は、そんな分譲の"起源"について整理したいと思います。
1953年
戦後初の分譲マンションは、
"東京都"が、渋谷区で公営販売した「宮益坂アパート」でした。
店舗・事務所もはいる11階建て(2LDK)で、
当時の平均年収の4~6倍ほどで、現存しています。
1956年
前回冒頭で少し触れました、
東京都新宿区に分譲された「四谷コーポラス」が、
"民間"の先駆けでした。
5階建て28戸(3LDK)。
価格は"公営販売"に比べ、約2倍ほどだったようです。
築60年となる「四谷コーポラス」ですが、
現行の"建築基準法"に抵触するため、"建て直し"が困難のようで、
補修・修繕を行いながら、
今でも住まわれている方がいらっしゃるようです。
日本における
分譲マンションの"起源"が、ちょうどコノ頃です。
"1950年代"
朝鮮戦争の特需(在日米軍から日本に発注された物資サービス等)などで、
"景気が上向き"
"高級"な住まいが"分譲"
され始めました。
大前提として
戦後の"住宅不足"を補う目的が背景にあるのですが、
"豊か=経済成長"として、まとまっていた
"高度成長期"の日本にとって、
欧米の影響を受けていた"マンション"は、
"需要と供給"の意向が完全に一致し、
「コーポラス ・ アビタシオン ・ レジデンス」 と。。
"富裕層"に向けての
"洗練されたイメージ"に特化した、
"最も時代象徴する"出来事だったのではないかと思います。
そして戦後70年、
賃貸や戸建と所有形態が大きく異なる"分譲"は、
時代の移ろいとともに
"住宅すごろく"なる神話が存在した"60~70年代"の頃とは
"存在する意味"に違いが生じ始めているようです。
今後ともよろしくお願いいたします。
≪ 長尾アトリエ ≫ 長尾景司 ≪
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