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19-20世紀

アントニ・ガウディ(1852-1926年)により計画されたサグラダ・ファミリアは、バルセロナだけではなく、スペインを象徴するかのように、世界中で知られている未完の聖堂です。

ガウディ没後100年の来年に完成する予定です。

サグラダ・ファミリアの建設にガウディが着手したのは31歳の時。

その時ガウディはインターンとして、先輩建築家の事務所で働いていました。

当時、バルセロナを州都とするカタルーニャ地方は、繊維産業を中心に、急速な工業化や貿易の拠点として経済的発展を遂げていました。

このため経済的に優位に立っていた労働者が、中央政府と対峙し、社会的地位を求めて決起するような多様な思想が生まれる時代で、それからしばらくは、混沌とした社会状況から宗教や教会の権力を弾劾するような動きも続きます。

ガウディ

ガウディは地方出身の職人の家に生まれ、ブルジョアとは程遠く、元々教会との接点などありませんでした。

1870年になると建築を学ぶために、バルセロナに移住します。

同時に学費を稼ぐため掛け持ちで色々な建築家のもとでドラフトマンとして仕事をし、経験を積んでいました。

この頃から最初の仕事となるビセンスの家を10年がかりで建設したり、工業都市の労働者組合が運営する工場などを実現しています。

学校を卒業する際には、校長が、「学位を愚か者に与えたのか、天才に与えたのか分からないが、そのうち答えが分かるだろう」と語った裏には、すでに天才としての兆しが見えていたのかもしれません。

教会建築

学校を卒業して少し経った1880年頃からガウディは教会建築との関わりを始めます。

最初は、同郷のグラウ神父とバルセロナ近郊で知り合いになり、その後、神父を通じ礼拝堂の仕事を実現します。

更に1882年には、バルセロナに建設中の修道院に付属する教会堂の設計、大聖堂の正面ファサードを決めるコンペにも参加しています。

ただ、この2つの仕事はいずれもマルトレイ事務所での担当者という立場でのことでした。

しかし翌年にガウディは、このマルトレイの推薦によりサグラダ・ファミリアという贖罪の教会の建設を任されることとなるのでした。

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