いつもありがとうございます。【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
現在、完成形を視覚化することで、そこにたどり着くためのより良い道筋が見えてくるのではないかと考え、モノづくりを「3Dモデリングから始める」試みを行っております。ご興味ある方は下記リンクよりご覧になってみてください。

先導地区

都市の急速な発展によりインフラの整備などが追いつかず、無秩序、無計画に広がっていくスプロール現象。

1960年代、この現象に立ち向かい、際立って独創的な実践活動を次々と展開したのが、神戸の奥座敷とよばれた長田・丸山地区で、まちづくり創成期時代の先導者として知られています。

長田・丸山地区に数年遅れて、先導地区として知られたのが、当時住宅と零細工場が混在する下町で、周辺を大工場や幹線道路に囲まれていた。神戸市真野地区です。

公害のデパートといわれるほどの騒音悪臭、大気・水質汚染にたまりかねた住民は、1966年公害追放運動を起こします。

その一方で、緑化運動ホタルの飼育、給食入浴サービスなど、当時まだ珍しかった実践活動を次々と推進します。

様々な活動をつづける中、やがて街自体環境を良くしないと根本的解決はないと気づき、地域の将来像づくりに取りかかることとなります。

構想の完成と条例制定

1978年に地域団体や企業、学識経験者、行政等によるまちづくり検討会議が組織され、総会、調査、勉強会などを経て、真野まちづくり構想が完成します。

構想の主体は住民である一方で、支援者である行政にも、真野地区の試みを新しいまちづくりのモデルにしたいという志がありました。

きっかけは、1980年の地区計画制度が創設された時、単に事務的な制度制定でなく、地区での実践過程下敷きにした条例が目指されます。

具体的には、まず住民がまちづくり協議会を組織し、自ら提案内容を考え、その提案をべースにまちづくりに反映するという住民参加方式が盛り込まれます。

このような過程を経て、1981年制定されたのが神戸市まちづくり条例です。

その後、神戸市のまちづくりでは、このような手順をとることとなったのでした。

まちづくりの多様化

1981年海上都市ポートアイランドで、全国初の地方博覧会が開催されますが、この頃から時代転換し始めます。

成長率は鈍化し、一極集中が進む中、たたむ時代の入口に立つことになります。

まちづくりは、ハードからソフトへと移行し90年代に入ると農村づくりの推進地域防災活動地域の美化活動など様々な行政分野で住民協議会を組織して、共同で進めるまちづくり方式が採用され始めます。

まちづくりのテーマが変化すると、そこに関わる人材も多様化します。

ハードを主としていた頃は、都市計画建築系コンサルタントが専門家として関わっていましたが、ソフトに移行すると、次第に福祉医療教育など多種多様な人材が、様々な場面に登場するようになります。

するとボランティアやNPOが登場し、変化加速させ、まちづくりの定義が定まらなくなり曖昧となります。

それでもまちづくりという概念がなくならないのは、時代が変化してもその時折で、必要とされる力を秘めているからだと考えられます。

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