改修の失敗
いつもありがとうございます。
【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
ドイツ"アルスフェルド市"の"都市壁"のように、
歴史上重要な"建造物・工作物"が、
かつて"存在した"ことを示す"歴史的痕跡"を
その場所に、
記録しておくことも時には必要です。
しかし、
この歴史地区では、
老朽化した歴史的建造物を保存するために、
街路側の"表面"だけを残し、
表面以外は、
取り壊して"新しく造り変える"ことで、
修復後の建造物を"負の遺産"としてしまうなどの失敗が、
他にもあります。
例えば、
建築物の"街路に面する箇所"を
"ポルティコ"として"改修"している建築群があります。
"ポルティコ"とは、
玄関に導くための"柱列として拡がるポーチ"のことです。
アテネの"パルテノン神殿"を思い浮かべると
分かり易いと思います。
この"ポルティコ"を表現するために
街路に面する部分にもともとあった"木の柱"を
"鉄骨"に置き換え、
その鉄骨の表面を"木の板"で覆い隠しています。
そのため、
外見は"木構造"に見え、
本当は鉄骨構造であることが、
分かりづらくなってしまっています。
ここで一番問題なのが、
保存対象の歴史地区にも関わらず、
もともと"ポルティコ"が、
この街の"歴史上には存在しない"空間である…
ということです。
つまり、
歴史地区の公共空間に"嘘"の建築的表現を用いるために、
歴史的建造物に損傷を与えて"いる"ということです。
なんとなく、
ポストモダンと呼ばれた時代に、
日常の街には全く関係のない、
おとぎの国のキャラクターたちが、
飛び出してきたような感じがします。
では、
なぜこのような"嘘"の保存を行ったのか?
それは、
都市のデザインコンセプトに
・ 公共空間の"価値の向上"。
・ 旧市街地が、利益を得るための"開発コンセプト"。
・ 地元関係者が"元気になる"。
を掲げていることが関係しているようです。
このコンセプトは、
1966年、
モダニズムと呼ばれた時代を経て近代主義を追求した
当時の"市長"が、
街は、
過去の真似をせず、
新築の建物によって、
魅力的につくられなければならない。
と宣言したことに起因しているようです。
街が、
この宣言を守り続けてきてしまったため、
保存対象になった歴史的地区にも、
近代主義のデザインコンセプトを適応してしまい、
デザインコントロールの根拠を失ってしまったのです。
どこの街でも、
商業の活性化のために行う改修は、
常に優先順位が高く、
ルールの適用範囲を整理をしないまま、
街全体の改修を始めてしまうと
"文化財としての価値を失う都市再生"に、
つながる可能性があるようです。
。。つづく。