いつもありがとうございます。必要の場をツクル設計事務所-長尾アトリエ の 長尾 です。
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計画の上書き
1883年11月。
ガウディは2代目建築家として、すでに着工していたサグラダ・ファミリアの設計を引き受けます。
しかし、引き継いだ設計内容では、太陽の向きや角度を計算にいれていないこと・教会に入って正面の奥に位置するアプス(祭壇のある半円形の空間) が、キリスト教の聖地であるエルサレムの方向へ向いていないことなどに気づきます。
この時、すでに地下聖堂がほぼ完成していたため、天才建築家ガウディは、わずか数週間で、まったく違う計画を上書きします。
その計画というのは、教会それ自体を「石で出来た大きな聖書」と捉え、造形や構造の変更だけではなく、高さ・意義・自然との関係にまで及んでいます。
そして複雑に交差するアイデアの中でも特に有名なのが、教会が完成した時に大きな楽器の役割も担うことです。
これは最終的に18本になる塔内部に、84もの鐘をつるし、街全体が鐘の音で包まれることを現在の建築技術には到底及ばない100年前に想像していたことを示しています。
建築家として
1878年、25歳の時にガウディは、建築家の資格を取得しポートレート(肖像写真)を撮っています。
ガウディの写真でよく目にするのが、この時のモノで、髪は整えられ、手入れの良い髭を蓄え、立派なツィードの上着を着込んでいます。
一方、そこから約20年後の1899年、女王イサベルがサグラダ・ファミリアを公式訪問した際、ガウディは他の現場から駆け付けますが、警護者がその汚らしい身なりにガウディとは気づかず少し揉めました。
さらに約30年後の1926年、路面電車に跳ねられ亡くなった時、その身なりでホームレスと間違えられ、慈善病院に運ばれています。
これは正確なことは分かりませんが、ガウディがサグラダ・ファミリアにかかわることになってから、すべての時間とお金を工事に投入していたためと言われています。
資金の滞り
着工時期の1886年に、聖ヨセフ信者の協会機関紙で、ガウディの手による地下礼拝堂が完成されると発表されます。
さらに同紙で、毎月3万ペセタ(現在と比較はできませんが、1ペセタ≒1.3円)の建設費が集まれば順調に建設は進められるという記事を掲載し、ガウデイも予定通り集まれば、10年ほどで完成すると確信していました。
このため1890年に入る頃までは順調に進行し、地下聖堂とアプス周壁の一部が完成するのですが、ちょうどその頃から当てにしていた募金が思うように集まらなくなっていたのでした。
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