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https://youtu.be/2xu7Bs4is9U

日本での経緯

1969年、重田良一という日本人画家の手により、顔料メーカーの工場の煙突に、彩度の高い鮮やかな色彩により絵が描かれました。

当時重田は、平面だけではなく、曲面を生かした作品も制作していたため円筒形の巨大な煙突に展開することとなったのです。

これは、日本でのスーパーグラフィックスの初期のデザインですが、建築の外壁に平面的に展開する例が多い中で、珍しいものでした。

この煙突自体は、その後、不要となり取り壊しが検討されましたが、周辺の住民から地域のランドマークとして残したいという声があがり、メンテナンスを行ないながら一定期間存続することになります。

また、この時期に、色彩豊かな表情を持ったホテルが完成しています。

赤坂見附駅前に建設された赤坂東急ホテルは、ゆったりとしたカープを持つ巨大な壁面に繊細なストライプパターンがデザインされています。

その独特のバターンから軍艦バジャマと呼ばれ親しまれたこのホテルは、「Loft」や「無印良品」のロゴデザインなどで広く知られるグラフィックデザイナーの田中一光によるものです。

同じ時期には、黄色や真っ赤など、都市部を中心に多くの作品が生まれます。

このような出来事は初期の段階で数多くの色彩空間をつくり出したのですが、徐々に意欲的な色彩空間の創造性は弱まり、やがて高彩度色の誘目を利用した商業広告的な建物が多くなり、その一部は地域の景観論争を巻き起こすこととなったのでした。

そして、日本におけるスーバーグラフィックスは、70年代のオイルショック頃を境に衰退し、姿を消していきました。

フランスにおける展開

1900年代初頭からの鉄とコンクリートとガラスの無機的な機能主義建築、いわゆるモダニズム建築に反抗する目的もあったスーバーグラフィックス運動は、フランスでいくつかの作品を残しています。

日本とは異なリ、景観のコントロールが進むパリ市内では色彩の規制が強く、大胆な色彩を使った作品は多くありません。

小さなカフェの外壁に街路樹のマロニエの影を多様な色彩で描いた作品や、再開発が進む工事現場近くの建物の外壁に、期間限定で描かれた幾何学的なフランソワ・モレレの作品など、その数は限られています。

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