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風土から生まれた古民家

鹿児島には、平屋の住宅が多く残っているのですが、この背景には、薩摩藩独特の暮らし方である「半士半農」の文化があります。

武士として藩の防衛を担いながら、日常では農作業も行うといった生活スタイルに適していたのが、使いやすい平屋の住まいでした。

また、藩の許可を受けて商業が営まれていた「野町」と呼ばれる地域では、妻入りの平屋建て商家が道路沿いに並び、他の地域ではあまり見られない独特の街並みが今も残っています。

2棟による住まい

九州の民家には、母屋と釜屋(台所)がほぼ同じ大きさで並ぶ「2棟造り」と呼ばれる形式がよく見られます。

一般的には珍しいこの形式は、麓(ふもと)集落の家屋が原型と考えられています。

江戸時代の薩摩の家には、「オモテ」と「ナカエ」という二つの建物からなる「二ツ家」と呼ばれるものがありました。

風呂や便所は外部に設けられ、座敷のあるオモテと、土間を持つナカエが並ぶ構成は、半士半農という暮らしに非常によく合った空間でした。

オモテは来客用の座敷で、ナカエより一段高く造られている一方で、ナカエは使用人の作業空間で、炊事だけでなく農作業も行われていた場所です。

このオモテとナカエの配置関係には、各集落ごとに違いも見られるそうです。

明治時代以降になると、この形式は引き継がれながら変化し、2棟が連続して一体化した主屋として建てられる例が多くなっていきます。

実は計画されていた街並み

麓集落は、主に江戸時代に薩摩藩によって整備されたそうですが、詳しい計画手法は分かっていません。

ただ、その街並みを見ていくと、高い計画性が読み取れます。

たとえば、薩摩藩最大規模の旧武家屋敷群である「出水麓」には、縦横に走る「馬場」が、あえて直交しない部分があります。

その南北方向の軸線の先には亀ヶ城があり、東西方向の馬場も、山頂からの眺めを意識して整備されていると言われています。

つまり、馬場は単なる道ではなく、街路計画に基づいて人の手で築かれた空間だったということです。

家の配置による統一された景観

家屋の配置を見ると、その計画性はさらに明確になります。

計画型の集落では、東西方向の馬場を軸に主屋と庭が左右対称に配置されています。

そのため、馬場の北側にある屋敷では南側に庭と座敷があり、南側の屋敷では北側に庭と座敷が設けられています。

一方、自然地形を活かした集落では、馬場側に奥行きの浅い庭を持ちながら、南側にも庭と座敷が配置される構成となっています。

こうした違いはあっても、旧薩摩藩領内に点在する100を超える麓集落では、家屋が秩序立てて配置され、統一感のある景観がつくられています。

いまも残る街並みの美しさ

現在も多くの麓集落では、馬場、石垣、生垣が織りなす歴史的な街並みが残されています。

これは単なる古い景観ではなく、風土や生活そして明確な意図によって形づくられた空間で、その背景にある歴史を想像すると、鹿児島の街はより深く魅力的に感じられるはずです。

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