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意見の対立

サグラダファミリア初代の専任建築家であったビリャールの辞任は、着工の翌年1883年でした。

辞任を決めるほどの意見の対立とは、宗教的な不一致でも住民との対立でもなく、関係者同士のモメ事によるものでした。

建設が始まり、1つ目の石が設置されたのは、1882年の聖ヨセフ(イエスの育ての親)の日で、この頃の習慣に従い、地下聖堂から造られることになります。

着工の翌年1883年になると、建築家ビリャール、教会建設を発案したボカベラ、ボカベラの顧問デザイナーであったジョアン・マルトレルの間に意見の対立が生まれ始めます。

もともとビリャールの計画では、地下聖堂の基礎には、すべて石を使用し、それを水平に積み上げていく予定でした。

一方、ボカベラとマルトレルは、コスト高になり予算を大きく超えると反対します。

そもそも着工してからモメる内容ではないと思いますが、この対立は、ビリャールが辞任する日まで続いたそうです。

2代目建築家

その後、ボカベラはマルトレルに、設計の引継ぎを勧めますが、技量不足と高齢を理由に断わられます。

そこで、マルトレルが声をかけたのが、弟子の中で、最も才能があると感じていたガウディだったのです。

この時の年齢は、発案者ボカベラ68歳(1815-1892年)、初代建築家ビリャール55歳(1828-1901年)、顧問マルトレル50際(1833-1906年)ガウディ31歳(1852-1926年)。

医療技術や衛生環境が、現在よりも良くなく、欧州での平均寿命は45歳前後でした。

1883年11月、ガウディは2代目建築家として正式に指名されますが、すでに、地下聖堂の基礎工事は終了し、柱も半分ほど完成していました。

しかし、実務経験が5年ほどのガウディは、自信とやる気に満ちあふれ、一生を捧げる覚悟で、この大きな挑戦を引き受けたのでした。

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