いつもありがとうございます。【必要の場をツクル設計事務所】-長尾アトリエ の 長尾 です。
時間のかかった訳
30年間に渡り"7期"に分けて造られたヒルサイドテラス。
代官山の旧山手通り沿いにある14棟の複合体で、第1期のA・B棟は1969年に竣工しました。
ゆっくり時間をかけ、低層でヒューマンスケールの開発ですが、もともと、ハッキリとした目的があった訳ではなく、開発会社が、自社で所有していた土地の有効利用のために始めた事業でした。
敷地は、厳しい建築基準法の条件下にあり、さらに当時は、色々な用途で使用されていたため、更地にするための時間もかかっています。
つまり、30年かけてできあがった建築群は、時間的に余裕があってやってきたモノではないのです。
近隣とヒルサイドテラス
その後、様々な条件のもと、ヒューマンスケールの街づくりということで、高い評価を受けるようになり、第1期のA・B棟が、東京都の歴史的建造物として認定されます。
また、建築の記録と保存を目的とした国際組織"docomomo"で近代建築100選に選ばれています。
このように、ヒルサイドテラスが評価され、長い時間をかけて街に溶け込めているのは、近隣の街との間に築かれてきたコミュニティも手伝っているようです。
コミュニティ空間
第1期の計画から、道に面して開かれたパブリック空間とそれに繋がるセミパブリック的な空間がありました。
後にこれらは、音楽ホールやキャラリーへと繋がっていくのですが、初めの10年間は何か活用しようと試行錯誤を繰り返しても、あまりうまくいきませんでした。
そんな時、設計担当の槇事務所を通じアートディテクターの北川フラムさんが関係することとなります。
北川さんがA棟に入居し、アートギャラリーを運営するなかで、アートがいかに場に"チカラ"を与えるかを実践してみせてくれたのです。
そしてこの出来事は、その後のヒルサイドテラスの"文化的な活動"のきっかけにもなり、北川さんはその活動のあらゆる分野で協力してくれる存在となりました。
こうした新しい考え方は、ヒルサイドテラスの住人、テナント、そしてヒルサイドテラスの活動に協力してくれるヒトたちにも理解されるようになります。
そして、この場所"らしさ"みたいなものが確立し、近隣の人たちを含めたコミュニティを育てることにつながっていくのでした。
ヒルサイドテラスの50年の歴史から、長い時間をかけ、多くの人たちによってつくられた価値の積み重ねが、いかに"場のチカラ"になり、街がつくられる要因になっていったかを学べます。
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