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旅館とホテル
ホテルと旅館との違いは大きい。
旅館はオーナーが自宅に客を招き、宿代をとって泊めるという考え方のため家族と同じように扱われます。
宿泊客は、玄関で靴を脱ぎ家に入り、部屋は襖一枚で仕切られているだけで、鍵はかはかかりません。
そして食事は必ずつき、浴衣や手ぬぐいも用意されていますが、泊まらないひとの出入りは絶対に許されません。
想像するに、オーナーは自分の家に泊めるのと同じ感覚だから当然なのです。
それに対し、ホテルは客が泊まる部屋以外は、すべてバブリックという考え方のため建物の中にも路地や広場などがある感覚で、お客さんには部屋のみを貸します。
当然、食事は付いていないのでレストランなどを利用してもらいますが、そのレストランは宿泊客以外のお客さんも入ることができます。
ホテルの登場
日本では本格的にホテルが登場するのは、外国人向けの宿泊施設として明治時代に入ってからでした。
その頃の食事は、西洋文化の象徴としてのフランス料理と決まっていて、前菜で始まるコース料理で、ボーイがサービスをし、王侯貴族の食べ方を体験させてくれます。
ホテル料理は、日本での洋食の基準となり、その後、町の洋食屋がその味を真似たのでした。
外国人が多く出入りする明るく華やかなホテルは、当時のひとたちにとっては、小さな外国であったのだと想像できます。
万平ホテル
日本を代表する避暑地として有名な軽井沢は、明治19年に、カナダの伝道師A・C・ショーとスコットランドの英文学者J・M・ディクソンのニ人によって開かれます。
ショーは、軽井沢に初めて別荘を建てたひとで、ディクソンとともに、国際的な避暑地としての位置づけに大きく貢献しました。
そして毎年、夏を過ごしに軽井沢へくる外国人が多くなった明治27年、軽井沢で最初のホテルとなる万平ホテルが誕生したのでした。
当時は、昔の亀屋旅館を改築したもので、現在の建物になるまでに3度ほど移転と建て替えを行っています。
昭和11年に、現在の姿として新築された本館アルプス館の設計は、ドイツ帰りの建築家・久米権九郎。
長野県の佐久地方にある民家からヒントを得たそうですが、周囲の白樺やカラマッ林が似合うおしゃれな高原のホテルですが、どことなくドイツの山小屋風にも見えます。
玄関を入ると階段室には旅館だった「亀屋」にちなんで亀と波をモチーフにした大きなステンドグラスが客を迎えます。
ロビーとダイニングの間にも2枚ステンドグラスがあり、一枚には江戸時代に宿場町として栄えた軽井沢を大名行列が通る様子、もう一枚には、竣工当時、洋館の別荘や避暑地でゴルフや乗馬などを楽しむひとたちの姿が描かれています。
これらのステンドグラスは、軽井沢の遠い過去と近い過去の記憶を想像させるだけではなく、現在の様子を問いかけているような気にさせます。
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