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日本建築の再利用

日清戦争から第二次世界大戦までの間、下関条約により台湾は日本統治下にありました。

台湾では、この時代に日本人が設計した近代建築を多く残し活用しています。

約100年前、1932年当時の台南で、唯一エレベーターを備えていた林百貨店は、山口県の実業界により建てられたもので、2014年にリ二ュアル・オープンしています。

他に、当時台湾で活躍していた日本人建築家によって計画された文学館、警察署、大学の校舎など、多岐にわたり再活用されています。

特に文学館での展示は、統治下当時に日本語が国語とされていたり、逆に戦後には、公式な場での使用が禁止になり、禁書や検閲が行われていたことなど、台湾がアイデンティティに揺ていた歴史が、紹介されているようです。

つまり国の背景が変わると、言語や本は敏感で、影響を受けてすぐに変化しますが、建築物自体は一度作ると壊すのも大変なため別の用途を探すことになるということです。

一方、このような状況でも解体されるものは、例えば1900年初頭に設置された朝鮮統治機関であるソウルの朝鮮総督府のように、明らかに象徴的な意味をもつ場合です。

このため台湾では、統治下時代につくられた神社などは、ほとんど壊され、台北の台湾神宮の跡地には、中華風のデサインを強調したホテルが建設されています。

影響のある建築

台湾の場合、韓国とは少し異なっていて、旧台湾総督府や国立台湾博物館など、日本人が手掛けた象徴的な建物も残っています。

日本の統治時代の建築を保存するということは、つまるところ、台湾を統治した影響による建築の保存ということですが、例えば、刑務所の官舎群を飲食街に再生した区域では、壊れた木造を現代のガラス張りの構造で囲う形式をとっています。

文化運動記念館として再生された当時の警察署は、近代の社会運動の状況を紹介する施設として再利用されており、留置場や水牢などを目にすることができます。

また、日本が撤退した後、中国による台湾住民への弾圧が始まり、長い白色テロの時代への引き金となった大事件(1947年の2.28事件)を展示する228国家記念館も、日本人が1931年に設計した教育会館を再利用しています。

これらは、かつて台湾市民を統治下においた日本側の建築ですが、いまでは、民主主義の展示施設に変わり、歴史の皮肉を感じさせます。

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