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ヴィラ・メディチ・フィエゾレ

ルネサンス初期の建築家アルベルティは、別荘に適した場所を、定住している都市と連絡が取りやすいが適度な距離にあり、道中も「田園らしさ」を楽しむことができる安全で豊かな土地であるとしています。

この頃、ダヴィンチ・ミケランジェロなどを支援したことで有名なメディチ家。

一族の別荘のひとつであるヴィラ・メディチ・フィエゾレは、フィレンツェの街から車で20分ほどに位置し、アルベルティが考える条件に適合する豊かな傾斜地に建てられました。

起伏ある敷地形状は、地形に沿った3段のテラス型で、その南面には、約30mほどの崖があります。

ヴィラは、冬の北風を避けるように南側の斜面に力強く立ち上がり、夏には、西からの海風が冷気をもたらします。

敷地全体がバルコニーのように配置され、南にアルノの谷、南西にフィレンツェを見渡すことができます。

崖上からの風景

当時、フィレンツェ全体の約65%もの税金を納め、死後、「祖国の父」の称号を贈られたメディチ家のコジモ・イル・ヴェッキオ(-1464年)。

ヴィラを設計したのは、建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(-1472年)で、所有者は、コジモの息子ジョヴァンニでした。

当初、このヴィラは「ベルカント(美しい歌)」とよばれ、敷地のあらゆる場所から、「フィレンツェの街」と「トスカーナの山並風景」を眺めることができたのですが、この眺望は、偶然できたのではなく、体験者の視線角度を綿密に設計することで、成立していたのでした。

一方、当初コジモは、息子が景色を楽しむためだけの目的には反対していたのですが、それは、フィレンツェから北へ約25Kmにあった別のヴィラであるカファッジオーロの窓から外を見るほうが、好みにあっていたからでした。

この場所は、フィレンツェから遠かったため都市の喧騒から離れた美しい田園風景を眺めることができました。

どちらも同じ建築家による設計でしたが、二箇所の眺望の違いは、カファッジオーロのように、純粋なヴィレッジャトゥーラ(ルネサンス期の休暇を田園で過ごす思想)のための場が、ヴィラ・メディチ・フィエゾレに見られる権力の表現に転換していくこととなるのでした。

権力の象徴

ヴィラ・メディチ・フィエゾレからの眺望。

そのひとつは、フィレンツェへの視線で、それはメディチ家がつくリあけ支配していた都市の眺めとなります。

ふたつめは、書斎に面するアルノ谷への視線で、その先にある海に面する街ピサの方向を示していて、ピサも支配下におさめて、海洋への進出を画策する野心の表現であるとされています。

これらのことから、ヴィラからの眺望は、その場所を物理的に所有することと、所有したいという野心を暗示していたとされ、ヴィラ・メディチ・フィエゾレの空間はこのふたつの象徴的な眺望を演出するためのものであったとされています。

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