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イタリアの歴史
16~18世紀頃、パリやロンドンなどのヨーロッパの都市では、王や貴族たちが都市の中心に壮大な宮殿と広大な庭園を築いていました。
たとえば、ルーブル宮殿、テュイルリー宮殿、そしてバッキンガム宮殿がその象徴で、これらの庭園は、王の威厳を示すために、時に市民にも開放されました。
やがて17~18世紀の市民革命を経て、宮殿は国の施設や図書館、美術館へと姿を変え、庭園もまた市民のための公共空間、公園として受け継がれていきます。
ヨーロッパの都市公園の多くは、このような歴史を背景に生まれました。
一方でイタリアは少し異なる道を歩みます。
5世紀にローマ帝国が滅亡して以降、ローマやミラノ、ヴェネツィアなどはそれぞれ都市国家として分立しまし、14~16世紀のルネサンス期には、メディチ家やエステ家といった貴族が都市を支配します。
ルネサンスは、古代ギリシャ・ローマ文化に学びながら、宗教にとらわれず自由に科学や芸術を探究しようとする運動ですが、この頃の貴族たちは、プラトンがアテネ郊外に開いた学園「アカデメイア」を真似て、郊外にヴィラ(邸宅)を構え、自然の中で学問や芸術を語り合う場をつくろうとします。
しかし19世紀中頃、イタリア統一運動が進み、国内の小国は統合され、オーストリア帝国からの独立を目指す動きの中で多くのオーストリア帝国の支配下にあった貴族たちは力を失なっていきます。
この時、もともと都市内部に大規模な貴族庭園が少なかったこともあり、それを転用した都市公園はあまり生まれませんでした。
市民主体の都市整備
その代わりに、市民主体の都市整備が進められ、模索されたのは、イタリア文化を象徴する都市の姿です。
その結果、新古典主義建築が広まり、古代ローマの公共広場「フォルム」に着想を得た、シンプルな石畳の広場が各地に整備されることとなります。
たとえば、ミラノ大聖堂前の広場や、スカラ広場がその代表です。
広場そのものが文化の象徴となり、そこに立つ彫刻や大聖堂、オベリスクがイタリアのアイデンティティを強く印象づけています。
豊かな自然、ルネサンスの精神、そして統一運動という歴史を経て、イタリアならではの「広場の風景」が形づくられてきました。
石畳
ランドスケープというと、緑豊かな公園を思い浮かべがちなためイタリアの簡素な石畳の広場が、その文脈に入るのかといった疑問がわきます。
しかし、その土地の自然や文化、歴史を読み解いていくと、この石畳の広場こそが、イタリアの都市に求められた屋外空間だということが分かります。
日本もまた、都市の近くに豊かな自然があり、市民革命を全面的には経験していないという点で、どこか共通する部分があります。
このため日本のランドスケープを考えるときも、「緑の多い公園」という固定観念にとらわれず、その場所に本当に必要とされる屋外空間とは何かを見つめ直し、提案していくことが大切なのではないかと思います。
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